いちの脳内会議

語彙力無さすぎるから、思ったことを文字にする練習用blog

純粋とはなんだろう。

どうも、いちです。
三日坊主になる予定です。

今回は純粋について、思うことを書いていきます。
自分は今でも純粋である。
純粋でありたいと思っております。

純粋であることと素直であることは
似ていると思っています。
幼い頃の純粋さ、素直さはとても、美しく。
また、とても、儚く感じてしまいます。
どう言ったことが純粋なのか?っと聞かれると
どうしても、幼い妹を思い出してしまいます。
素朴でキラキラとした瞳、
何に対しても不思議そうに首をかしげ
興味を示します。
これが、私のイメージする純粋さ。
純粋であるからこそ、
彼女の周りはいつもキラキラと
輝いているようです。

昔の自分もそうであった記憶があります。
親に「ふたつ葉のクローバーがある!」っと
みつけたら即報告。
新しいものを見つけたと
感動と達成感をその瞬間は感じていました。
しかし、風で飛んだとか、
誰かがちぎったんだよ!っと
妹に小バカにされました。
夢を壊されたような
ひどくキズついたことを覚えています。

いつから、周りを純粋に観れなくなったのか、
もぉー、思い出せませんが。
いろんな話、いろんな出来事を経験すると
期待をしなくなり、希望を持たなくなります。
いや、できなくなるっと言った方が正しいのか。
その理由は明確で、ただ、
キズつくのが、怖いから。

しかし、幼少のころは、周りの人に
守ってもらっていたんだなっと、
つくづく思います。
今は自分の身はある程度自分で
守らないといけなくなり
もともと、気が弱い方だったのに、
さらに、現状維持に固まり、
保守的になっていきます。

なんか、とってももったいないような気がします。
ただ、私にもふとした瞬間、
純粋に戻れるときがあります。
それは、新しい体験をしたとき。
このあとどうなるのか?
これはどう使用したらいいのか?
ワクワクとドキドキが止まらない
そんな時に自分は、幼少の時のあの
キラキラした感覚に戻ることができるのです。

この感覚を大切にしていきたいと思います。

「どうして僕を産んだの?」の答えを考える

どうも、いちです!
今回は、お子さんに
「いつか、必ず死んじゃうのに
どうして、僕を産んだの?」に対して
いろんな方の答えを聞いて、
自分との考え方の違いが面白いと思ったので
書いていこうと思います。
この質問に対して、
どうみなさんなら答えるのでしょうか?

私のまわりは「子孫反映のため」と言う意見が半数
答えにくいと言う意見が半数。
まったく、私と同じ意見の方が現れなかった。
とても、興味深く面白い。

自分の答えはと言うと、いたってシンプル。
「私があなたに会いたかったから」
これ以外に答えはあるのであろうか?

人の考えを否定するつもりはないが、
「子孫反映」は確かに、生物であるからこそ
実行しなければいけないコトワリなのだとは思う。
しかし、自分の周りの現状をみてみると
そう感じなくなってきている。
子孫反映のために子供を産むのであれば、
しっかりとその子を育てて行く環境作りが
不可欠だと他の生物をみていて
個人的に思っている。
しかし、現状はどうだ?
私の周りには片親が大半である。
やれ、浮気だ。
やれ、ギャンブル依存だ。
理由は様々である。
別に、浮気がまずいとか、
ギャンブルがいけないだとかは思わない。
それは、個人の自由だ。
個人的に、おかしくないか?っと
疑問に思うところはそこではない。
浮気やギャンブルをしていることを
子供にばれるのがまずい。と感じる。
子供は感受性が豊かで傷つきやすい。
大人が感じる数倍は心にキズができる。
親がきずついてる姿を観て
ストレスに感じない子はいないのではないか?
まぁ、確かに例外もいるだろうが。

さらにプラスして性病に関してだ。
子供を授かる行為をしたらなる病気。
性病と言う病気ができた時点で、
神様にこれ以上、人類を増やすなっと
言われているようなものだ。
まぁー、何もかも助けてくれる
神様がいるとは思っていないのだが。
実際、食物連鎖の中に人間だけ
例外に立たされている。変な話である。

個人的には人類は滅んだ方が
地球や他の生物にとってはより、
過ごしやすい環境になると考えている。
あいかわらず、考えが片寄っているが。
そのため、
「子孫反映のため、あなたが産まれてきた」
と言う答えには、なかなか、個人的には
疑問点が多い。
そんな人類全てを背負わせてしまうような
そんな大きい話じゃなくってもっと、
シンプルで自分勝手で人間らしい
自分なりの答えは、やっぱり、
「私があなたに会いたかったから」っと
私の脳内では答えてしまう。

私が好きで産んだの。
私があなたに会いたかったから産んだの。
私があなたをいろんな人に会わせたかったから。
だから、あなたは、子孫反映のことを
思って子供を産んで欲しくない。
もっと、自分勝手になっていいし、
産まない選択だってできる時代になってるんだし、
もっと、もっと、自由でいてほしい。
私なら、そんな感じで答えるかな?
そういうと、変わってる。
考えつかなかった答えだと、言われてしまった。

私からすれば、子孫反映なんて言葉は
逆立ちしたってでてこない。
「なんで、子孫反映に力を注ぎたがるんですか?」
そう質問すると。
「自分の親に孫の顔みせたいじゃん。
だって、絶体喜ぶし、期待してるもん。」って、
「いやいやいや、その考えこそ理解できない!
なんで、私が親のために子供を産むんですか?
もし、仮に親のために子供を産んだとして、
子供が癇癪を起こしたとき、
私は、親のせいにする自信があります。
親が産めって言ったから。
親が面倒みればええやんって。
自分自身、弱い人間だから、
すぐ、人のせいにしてしまう、自信があるので、
絶体親のためには産みません。
産むんやったら自分のために産みます!
そうしないと、育てて行く自信がないからです。
だからこそ、産む産まないの選択に
親は関係ないと思ってます。」
そういうと、
「男女の考えの違いかな?」なんて、
まとめられてしまった。
そうなんだろうか。
他の人はどうなのか、
気になる議題になってしまった。

あなたは、お子さんに
産まれた理由を訪ねられたときどう答えますか?
また、自分自身、子供を産むことに
対しての考え方はどう言ったものですか?

人それぞれ考え方は違うと思う。
それが、かえって面白い。

自立について考える

どうも、いちです!
今回は「わたしの自立」について、
個人的な考えを書いていこうと思います。

そもそも、自立とはなんなんでしょう?
自分で立つと言う点だけ考えれば、
二足歩行出来るようになった時点で、
自分は自立できているのでは?
「自分の考えで行動できる」のであれば、
それは、自立なのでは?
子供の頃そう思っていました。

そして、現在、
私の自立のイメージと言えばもっぱら、
自分で稼ぐこと。
稼いで住む家、
自分の好きな服を来て、
食べたいものを作るでも、買いに行くでもいい。
ただ、好きな時に好きなだけ食べる。
自立のイメージはこんな感じ。
自立と自由が混合してる。
そんなイメージでいる。

親と過ごす時。
子供の時は親に言われたことを
自分の力の出来る限りで
一生懸命答えようとしていた。
それが、その時の私の精一杯の
「自分で考えて行動すること」のひとつ
それもまた、
自立していると言えなくはないのでは?

現在は、親に言われたことに関して、
「それは、ほんとに正しい考えなのか?」と、
疑問に思えば、話し合いができ、
自分の意見が言えるようになっている。
それが、本当に正しい自立というものなのか?

疑問に思い出すと、これまた、面白い。
自立とはいったいなんなのだろう?
私は小さい頃から自立しているようにも思う。
自分の限られた力、考え。
その中から自分が最善だと感じた行動を
その場で、とっているように思う。

しかし、そもそも自分を守ってくれる
存在がいる時点で
自分はもしかしたら、自立していないのでは?
現在、自分の考えで
行動できるようになってはいるが、
もし、失敗するような事があっても、
助けてくれる人物がいることを私は知っている。
それは、頼れる人に恵まれている
自覚があるからだ。
さらに、私はフッと思いいたったら
すぐにその頼れる人たちに会いに行ける。
図体は大きくなったが、
すぐ、甘え、頼ろうとする。
私はできた人間ではない自覚はある。
それでも、「自立してる」と言い切って良いのか?

片寄った考えではあるが、
親がいなくなった時。
始めて私は自立できるのでは?と思い始めた。
本当に信頼できる。信用できる。
そんな存在がいなくなった時。
その時は、悲しみに明け暮れるだろうが、
それを乗り越えた時。
始めて私は自立できるのではと思う。
本当の意味での自分のための行動。
考え、答えを出した行動が、
その時、始めてできるのでは?
そんなように思えてきた。
私はどうしても、
私なりの答えにたどり着こうとすると
足踏みしてしまう傾向にあるようだ。

自立とは?
考えれば考えるほど面白い。

みんなが思う自立とはなんだろう?




#わたしの自立

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