いちの脳内会議

語彙力無さすぎるから、思ったことを文字にする練習用blog

自立について考える

どうも、いちです!
今回は「わたしの自立」について、
個人的な考えを書いていこうと思います。

そもそも、自立とはなんなんでしょう?
自分で立つと言う点だけ考えれば、
二足歩行出来るようになった時点で、
自分は自立できているのでは?
「自分の考えで行動できる」のであれば、
それは、自立なのでは?
子供の頃そう思っていました。

そして、現在、
私の自立のイメージと言えばもっぱら、
自分で稼ぐこと。
稼いで住む家、
自分の好きな服を来て、
食べたいものを作るでも、買いに行くでもいい。
ただ、好きな時に好きなだけ食べる。
自立のイメージはこんな感じ。
自立と自由が混合してる。
そんなイメージでいる。

親と過ごす時。
子供の時は親に言われたことを
自分の力の出来る限りで
一生懸命答えようとしていた。
それが、その時の私の精一杯の
「自分で考えて行動すること」のひとつ
それもまた、
自立していると言えなくはないのでは?

現在は、親に言われたことに関して、
「それは、ほんとに正しい考えなのか?」と、
疑問に思えば、話し合いができ、
自分の意見が言えるようになっている。
それが、本当に正しい自立というものなのか?

疑問に思い出すと、これまた、面白い。
自立とはいったいなんなのだろう?
私は小さい頃から自立しているようにも思う。
自分の限られた力、考え。
その中から自分が最善だと感じた行動を
その場で、とっているように思う。

しかし、そもそも自分を守ってくれる
存在がいる時点で
自分はもしかしたら、自立していないのでは?
現在、自分の考えで
行動できるようになってはいるが、
もし、失敗するような事があっても、
助けてくれる人物がいることを私は知っている。
それは、頼れる人に恵まれている
自覚があるからだ。
さらに、私はフッと思いいたったら
すぐにその頼れる人たちに会いに行ける。
図体は大きくなったが、
すぐ、甘え、頼ろうとする。
私はできた人間ではない自覚はある。
それでも、「自立してる」と言い切って良いのか?

片寄った考えではあるが、
親がいなくなった時。
始めて私は自立できるのでは?と思い始めた。
本当に信頼できる。信用できる。
そんな存在がいなくなった時。
その時は、悲しみに明け暮れるだろうが、
それを乗り越えた時。
始めて私は自立できるのではと思う。
本当の意味での自分のための行動。
考え、答えを出した行動が、
その時、始めてできるのでは?
そんなように思えてきた。
私はどうしても、
私なりの答えにたどり着こうとすると
足踏みしてしまう傾向にあるようだ。

自立とは?
考えれば考えるほど面白い。

みんなが思う自立とはなんだろう?




#わたしの自立

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